さかなつり子の部屋

万年ダイエッターの二児のオカンブログ

2歳の子どもが気管支炎と脱水で入院したのを機に、改めてワーママとしてのあり方を考えた。

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2019年の年明け早々、下の娘(2歳0カ月)が高熱、気管支炎、脱水で入院しました。 娘は1歳から保育園に通っているので、これまで何度も熱を出すことはあったのですが、今回はこれまでで一番高熱や咳が長引き、食欲不振でほとんど食べれませんでした。その結果、脱水と低血糖により全身状態が悪化し、入院となった次第です。

今回、娘の入院を通して改めて子どもが小さいうちの入院付き添いの大変さを感じました。備忘録もかねて、私が入院中に大変だったことをいくつか記したいと思います。

あと、今回の件を通して自分自身の仕事に対する考え方も少し変わりました。去年の秋頃から転職を目指して動いており、年明けにある企業の二次面接を控えていました。やりたいと思える職務内容だったので絶対決める!と意気込んでいたのですが、あれこれ思案した結果、面接を辞退し、今の職場で頑張ることにしました。そのあたりのことも書きたいと思います。

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発熱から退院までの経過

娘の経過はこんな具合でした。

●年末年始は帰省などで慌ただしく過ごす。1月3日(木)頃から咳が出始める。

●2019年1月5日(土)の正午、昼食中に突然泣き出し、椅子に座ったままウトウトしだす。眠たいのかと思い布団に寝かせるがすぐに目覚める。体が熱く感じたので熱を測ると38.5℃。ひとまずすぐ布団に寝かせて様子をみる。深夜、39.2℃まで熱が上がる。夜間ひどい咳で何度も泣きながら目覚める。

●1月6日(日)、39度台の熱と痰の絡んだ咳が継続。休日診療所を受診。インフルエンザの検査は陰性。肺の音が悪いと言われ、翌日かかりつけ医の受診を勧められる。痰を出しやすくする薬を処方される。

●1月7日(月)、39度台の熱と咳は継続。かかりつけ医を受診。RSウイルスの検査は陰性。肺の音がやはり悪いと言われ、肺炎の初期になりかけているかもしれないとのことで、強めの抗生物質を処方される。9日(水)の時点で熱が下がっていなければレントゲン検査をとると言われる。

●1月9日(水)、39度台の熱が下がらず、娘はぐったりで話すこともしない。かかりつけ医から大きな総合病院を紹介され受診。レントゲン検査と血液検査の結果、「肺炎にはなっていない。ウイルス性の気管支炎。肺の音がだいぶ悪い。脱水と低血糖で全身状態が悪い。入院して治療した方がよい」と医師から説明される。体重は発熱する前と比べて1.2キロ減。処置室に娘が連れて行かれ、点滴の処置を受ける。親は外で待機なのでチラッとだけ見えたのは、動かないようにバスタオルでぐるぐる巻きにされながら処置される様子。娘の大泣きする声が15分ほど続き、ようやく処置が終わる。小児科病棟の個室に入院。

ちなみにこれは点滴が入った娘の左手です。手の甲には、針の部分を触らないようにプラスチックの蓋がかぶせてあります。手のひら側には、指を曲げないように固い板で固定されています。

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●1月9日(水)の夕食はまったく食べられず。熱も39度台が継続。

●1月10日(木)の午前、ようやく38度台まで熱が下がる。夕方には37度台に下がる。夕食に出たハンバーグを一つ完食する。持ち込んだフルーツやパンなども、少しずつ食べられるようになってくる。

●1月11日(金)、熱が下がる。食欲も少し出てくる。ベッドを降りて、病室をウロウロ動くなど少し元気も出てくる。夕方に退院。12~14日(月)は自宅安静を続け、15日(火)に再受診し問題なければ保育園も登園可能と言われる。

●1月12(土)、食欲もだいぶ出てくる。咳はまだ多く、咳込み時に少量嘔吐。

●1月13(日)、食欲もほぼいつも通りに戻る。咳もようやく落ち着いてくる。笑顔やおしゃべりも普段通りに戻る。

付き添いは心身的に大変

1月9日(水)の朝の時点で高熱が続いていたので、入院があり得るかもしれないと思い、夫にも仕事を休んでもらい同伴してもらったことが幸いでした。かかりつけ医からの紹介状を持っていたとはいえ、小児外来で診察の順番が回ってくるまでに数時間、受診後にレントゲンや血液検査の結果を再度聞くまでに数時間、入院部屋の準備が整うのを待つのに数時間と、非常に待ち時間が多く、朝の10時過ぎに受付をしてから、入院部屋に入れたのは結局16時過ぎでした。総合病院だとこれくらい待つのは当たり前なのかもしれませんが、やはり疲労困憊しました。

病室は6畳ほどの広さで、テレビカード不要の冷蔵庫も設置されていました。大人用のトイレも廊下を挟んですぐの場所にあり、それはありがたかったのですが一つ問題点が。夜間私が寝る時にどこで寝ようかという問題です。

娘は卒乳しているのですが、寝る時に私の体にピッタリくっついて、おっぱいを触りながらでないと眠れません。なので、四方を柵に囲まれたベッドで眠る娘と離れて、付き添い者用のソファ(兼ベッド)で眠ることができないんです。昔息子が入院した時は、当時の年齢が6歳ということもあり、付き添い時はソファで眠れたのですが、娘はまだ2歳0カ月で私にべったりが必須。娘のベッドに付き添い者ソファを動かして並べることもできるのですが、ベッドとソファの高さに差があり、かつ柵があるため体をくっつけられないという状況でした。

結局、娘のベッドで私も一緒に並んで寝ることにしたのですが、子ども用のベッドということもあり、非常に狭い・・・。寝返りをうつのも一苦労です。

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ベッド幅の細さが伝わりますか?いかんせん、やや太めの母なので、余計狭く感じるのですが・・・。これは、横向きに私が寝ています。真上を見て寝ると、柵に体がくっつきます。四方を高い柵に囲まれているので、かなり圧迫感もあります。写真に写ってませんが、身長162センチの私が足を真っ直ぐ伸ばして寝ると、足がベッドの柵から出ます。よって、少し屈曲しながら寝る必要があります。

さらに、24時間の持続点滴が左手に入っているため、娘が手を動かすたびに点滴が抜けないか気になる&夜間も定期的に娘の状態のチェックにくる看護師さんに対応するため気が張る&夜間大声を出しながら廊下を歩く患者さんの声が気になる&狭いベッドで体を思うように動かせないなどの条件が重なり、入院初日はほぼ眠れませんでした。肩やら腰もバキバキでした。

でも、人間の適応力はすごいものです。入院2日目の晩は、同じ状況でぐっすり眠れたんです。夜中、娘の点滴が気になり何度か起きたものの、すぐにまた眠り、看護師さんが夜中ラウンドに来たことも全く気づきませんでした。疲れていたということもあるのかもしれませんが、我ながらあっぱれです。

でも、私は2泊3日の入院で済んだからまだ良かったものの、長期に渡って付き添うとなると、大変さは計り知れないと思います。退院後、付き添い時に役立つ情報がないかとネットで見ていたら、持ち運べてかつ高さ調節もできる簡易ベッドなる存在を見つけました。これです☟

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谷村 コンパクトマッサージベッド TAN843BR

これはマッサージ用のベッドなんですが、高さも変えられるし、重さ的にもなんとか運べそう。入院の付き添いが長期に渡るときはこういうものを活用してもいいのではと感じました。このベッドを壁にくっつけて、その隣に子ども用ベッドを動かせば、子どもと付き添い者の間の柵は下げることができます。本当は、病院側がこのようなベッドを常備してくれていたらいいのになと感じます。せめて小児病棟だけでも、付き添い者が子どもの横に並んで寝られるような工夫があればいいのになと思います。

寝る問題以外にも、付き添い生活は心身ともに堪えました・・・。まず私の場合、24時間点滴がつながっているので、抜けないかどうか気になって仕方がなかったです。実際、娘は入院2日目の朝、点滴を入れている部分から血がしたたり落ちました。幸い、接続部分が緩んでいただけで針は抜けていなかったので良かったですが、看護師さん曰く、子どもは手をよく動かすので抜けてしまうことは多々あるとのことでした。またグルグル巻きにされて点滴を入れ直しになるのは可哀そうですもんね。

あと、少し室内を動けるようになってくると、ベッドから床に降りて歩きたがることも大変でした。点滴の管の長さ的に、あまり広い範囲は動けないので、子どものベッド周りにソファと机で囲みを作り、その範囲だけ動き回れるようにしました。でもその時も、点滴を足で踏まないかとか、物にひっかけて抜けないかとか、ずっと見張っている感じで、一時も気持ちが安らぎませんでした。

他にも、私のトイレも困りました。大人用トイレが病室からわりと近いところにあるとはいえ、用を足している間は、娘を病室で一人で待たせることになります。幸い娘の場合は、2歳0カ月である程度こちらの言うことが理解できるようになっていたので、「トイレ言ってくるから待っててね」と言うと、ベッド柵の中でおとなしくテレビをみて待ってくれていました。ただ、「小」はまだしも、さすがに「大」をするだけの時間を一人で待たせるのは不安だったので、「大」を催したくなった時は、肛門から「大」が出そうになる直前まで待ち、「もう無理!」という段階でトイレに行き、ダッシュで出して帰ってくるという方法で乗りきりました。ただしこれは日中の場合の話。夜間、子どもが寝ている間のトイレはさすがに行きませんでした。狭いベッドでくっついて寝ていることに併せ、ベッドから降りようとすると、柵をいったん下げる必要があるので、娘を起こしてしまうのではないかと心配だったからです。なので娘が眠たくなる直前にトイレに行って膀胱を空にし、夜間はトイレに行きませんでした。幸い、夜間に尿意や便意を催すことはなかったのですが、もし万が一そういう状態になれば、ベッド上で娘のオムツを股に当てて用を足そうと本気で考えていました。「そんなん少しくらい子どもが泣いてもいいやん」って思われる方もいると思うのですが、私はなにぶん心配性な性格なので…。ないことを願っていますが、もしまた入院に付き添うことになれば、非常時用のトイレセットを持参しようと思います。

ボス 驚異の防臭袋 非常用 トイレ 15回分

あとは、日中ただただ時間をもて余します。病室のテレビはアニメだけを流すチャンネルもあったのですが、ドラゴンボールやポケモンなど、2歳にはまだ早いものばかりでした。娘も入院初日はぐったり寝たきりだったものの、二日目には少し起きて遊びたがる時間も多くありました。娘のお気に入りの機関車トーマスのパズルを持ってきていたのですが、左手が点滴をしているため思うように動かせず、かつ手に付けているカバーがせっかくはめたパズルにあたり、パズルが度々ずれてしまい、その都度娘はギャン泣き・・・。体もしんどいし、ストレスも多いしで機嫌が悪く、ちょっとしたことで癇癪を起こしていました。病室に持っていくおもちゃは、点滴時に手先をそれほど使わなくても遊べるものがいいなぁと感じました。

幸い私の場合は、両親が車で20分くらいのところに住んでいるので、洗濯や買い物を頼んだり、日中シャワーに入る間娘をみといてもらったりできました。入院中は側にいるのが私でないとさらに機嫌が悪い娘だったので、ほんの少ししか離れませんでしたが、シャワーや売店でのちょっとした買い物など、日中少しだけでも娘から離れることができて、気分転換になりました。あと、夫や私の両親など、少しだけでも大人と会話できる時間を持つこともとても大切だと感じました。2歳児のみと24時間2人きりだと、本当に息が詰まります・・・。

自分の仕事について改めて考えた

退院後、久しぶりに自分の布団で思う存分足を伸ばして眠ることができました。行きたい時にトイレに行き、お風呂にゆっくりつかり、日常の生活がどれほどありがたいかということをひしひしと感じました。入院前は、寝ている時に息子と娘に挟まれて、「もうきついわ~。大の字で寝たいわ~」と思っていたのですが、退院後は子ども達の寝相の悪さもただただ愛おしく感じました。

で、冒頭の話に戻りますが、私は転職を考えていたんです。転職の動機は、職場内での色々な不満ももちろんあるのですが、自身が働いている分野でさらにステップアップするために必要な経験を積むためということが大きな目的でした。幸いにも働きたいと思える会社に出会い、年明けに役員面接を控えていたのですが、入院という経験を通して転職は思いとどまることにしました。

私はある専門職に就いているのですが、若い頃から様々な研修にも自費で積極的に参加し、向上心は高い方だと思っています。転職先でも、生涯をかけて取り組みたい目標の実現に向けて、一層邁進していくつもりでした。転職に向けて動く中で、夢の実現が一歩近づくような気がして、当時の私は気分が少しハイだったのかもしれません。そんな時に、娘の入院を機にふと我に返ったんです。「転職先で育児や家庭生活との両立を果たして本当にできるのか」と。

現在の職場は給与は低いですが、土日祝は休みで、子どもの看病や学校行事などでは比較的休みを取りやすい環境にあります。残業もほぼなく、通勤時間も自宅から40分ほどと恵まれていました。転職希望先は、通勤時間は今とほとんど変わらないものの、日祝が休み、残業も時期によっては多くあり、業務終了時刻も現在より1時間遅いという勤務状況でした。仮に定時に帰れたとしても、保育園の迎えは19時前になるだろうし、小2の息子は学童から帰宅して2時間ほど、一人で留守番をさせることになります。私の帰宅時間が遅くなることで、ご飯の時間も寝る時間も、これまでの生活スタイルががらりと変わってしまうわけです。入院を経験する前は、それでも工夫すればできると思っていました。でも今は、ワンオペ育児の現状の中、現実的に考えて転職はやっぱり難しいと感じるに至りました。

現在の職場で、私は朝と夕に1時間ずつ時短をとっているので、ある程度時間の余裕があるのですが、それでもイヤイヤ期の娘と反抗期の息子とはバトルの日々です。冷静さは吹っ飛び、息子を頭ごなしに怒り散らしてしまうことも日常茶飯事です。時間的に余裕のある今でさえそんな状態なのに、時間的余裕がなくなったら、私はきっと子ども達に対してさらにひどい感情を抱いてしまうのではないかと感じました。常にイライラMAXのお母さんになってしまうような気がしました。仕事も育児も家事もバリバリこなしているお母さんがいるのも事実なので、これはあくまで私に限ったことなのですが、私の場合はきっと、自分のキャパを超えて家庭が悲惨な状況になってしまうことが想像できました。

退院当日の夜、私を挟んでスヤスヤと眠る我が子を見ながら、悶々と色々なことが頭に浮かびました。

「この子達が病気の時は、なるべく側にいてあげたい」

「時短が終われば少し留守番させることもあるだろうけど、それでもなるべく早くに帰ってあげたい」

「早寝早起きの生活リズムをこれからも維持したい」

「保育園と学校が休みの土日くらい、一緒の時間を過ごしたい」

「やはり私はこの子達の生活を一番大事にしたい」

頭が冴えてこの日はほとんど眠れなかったのですが、今の自分にとって何を一番優先すべきことかということがはっきりわかった夜となりました。

第二の人生はいつでも始められる

寝不足のまま朝を迎えたにもかかわらず、頭の中はとてもスッキリしていました。すぐに転職希望先の担当者にも面接辞退のお詫びの連絡を入れました。

今はまだ実感がわかないけれど、子ども達に手がかかるのもきっと今だけ。時が経てば、私が側にいたいと思っても子ども達は親元から巣立って行ってしまうかもしれない。「お母さん、世界で一番大好き!」なんて無邪気に言ってくれる時間も、きっとあと数年くらいしかないのかもしれない。今しか持てない、子どもとの濃密な時間。私はこんな大事なことを、今回の経験をするまで忘れていました。

今、37歳の私。物覚えは悪くなる一方だけれど、これまで重ねてきた様々な経験は、仕事をする上でも大いにプラスになっています。子ども達が私の手を離れたら、その時は思いっきりスーパーバリバリキャリアウーマンでも目指そうかな。第二の人生はいつでも始められる。今はただ、子ども達とのかけがえのない時間を思いっきり満喫したいと思っています。

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